2011-04-22 第177回国会 衆議院 財務金融委員会 第16号
もう本当に感動いたしましたし、最初はちょっとこちらも気恥ずかしさもありながら、立ってマイクも握っていたんですが、本当に一人一人の心の中にある慈善心といいますか、そういったものに触れることもできて、また確認することもできて、そういう気持ちがあれば、そういう思いが一つになれば、どんな困難でも乗り越えていけるんじゃないだろうか、そういう勇気を逆にいただけたような経験もさせていただきました。
もう本当に感動いたしましたし、最初はちょっとこちらも気恥ずかしさもありながら、立ってマイクも握っていたんですが、本当に一人一人の心の中にある慈善心といいますか、そういったものに触れることもできて、また確認することもできて、そういう気持ちがあれば、そういう思いが一つになれば、どんな困難でも乗り越えていけるんじゃないだろうか、そういう勇気を逆にいただけたような経験もさせていただきました。
あなたのおっしゃるように、慈善心に期待をしたり、奉仕の精神に期待するということは、もう昔話、いまはそんなことはできない。
○横川正市君 実は、一番大切な保障力というようなもの、これはまあ犠牲的に慈善心でやっているわけではないんですから、加入者が幾らかぐらいならば慈善的に奉仕してもいいという金と、その金の質がまず違うんですね。ですから保障力というものを非常に強く求めているわけですよ。 一般庶民は、たとえば郵便貯金をしたら何ぼ金利がつきますかというようなことで金利計算をして預貯金をしていないんですね。
宗教的な慈善心から、あるいは権力者の慈恵心、たとえば徳川時代に、あんまはめくらの方々の特権として、職業を与えましたね。そういう時代もあった。けれども現在教育の時代になっておる。
まあ気がついたものは慈善心で対策を立てる、気がつかないところは、国のいわば陰の状態として放任されていく、これでは近代国家とか文化国家とかということは言われないのでありまして、ここまでやはり労働行政としては手を差し伸ばすべきではないか。たまたま労働大臣は下谷あたりの子供の会合にときどき出ている写真を私は見るわけでありますが、労働大臣は慈善心をもってその会合に行くことは私はいいと思うのですよ。
同時に社会事業の育成のあり方というものは、民間の寄付によつたり、また特殊事業家の慈善心にまつにあらずして、国家の事業として国庫金をもつてなされなければ、いつの日に浮ばれない人たちが救われるか。私は吉田内閣がどうかこの社会福祉事業に対する、赤い羽に対するところの今までのあり方に鋭い検討を加えられまして、是正されんことを要望いたしておきたいと存じます。
この法案は、外見は如何にも重税に喘ぐ国民に対して、政府の慈善心とか親心というようなものを見せびらかすようにしています。だが、そのうしろには慈善心とか親心とはおよそ縁遠い悪辣な強奪者の顔が控えているのであります。
農地改革は單なる慈善心からばかりでなく、実に日本民主化という世界史的意義をもつてなされたものであることを知らねばなりません。この世界史的任務は、あらゆる機会において常に推進されなければならないのであります。しかるに、まだまだ相当量の小作地も残つております。山村農民の生活自立にとつて不可欠なる薪炭林もまだ解放されてはおりません。そして、それらは農民生活自立の支障となつているのであります。
自分で以て孤兒の世話をしておる人の経驗談を聞いたのでありますが、これは誠に世話をするのに世話甲斐がないと言いますか、孤兒の世話をするということは誠にむずかしいことで、例えばよそから、いろいろ慈善家等に頼んで着物を集め、その婦人がみずから遠く田舍に行つて、食糧を貰つたり、衣料を貰つたりして自分で以て各地を歩いて、そうして金持ちの慈善心に訴えて、自分でいろいろな食糧、衣料等を集めている人であります。
それからこの共同募金制度を法制化してはどうかということでありまするが、これは御承知の如く國民の慈善心に愬えて、極く清浄無垢な立派な義捐金を頂戴して、これによつて社会事業に乗り出そうという趣意でありますから、今これを法制化して強制力を持たせるということは、今のところでは考えておりません併しながらこれらの点につきまして、どうせこれは年々歳々こういうことを行うという考でありまするから、ただこの儘にしてただ
私の言うのは、金を持つておろうとおるまいと、詰り慈善心の発露ということが、この社会事業の推進に向つては非常に効果がある。でありますから、貧乏人であつても、一つ俺は一身を犠牲にして國家のためにこういう社会事業をやろうというような考のある人には、やはりやつて頂きたい。